tam's blue

ゆとり世代サラリーマンの日記です

理屈だけの技術者なんていらない

こんばんは。

 

とある大学院の機械系の専攻を修了し、メーカで設計職を始めて3年目。

そして、2020年となる来年は、Engineeringなるものを学び始めてから10年目となる。節目と言っても過言ではないと思っている。もちろん世の中には、エンジニアとして何十年にもわたって尽力してこられた方が沢山いらっしゃるので、私なんかは足元にも及ばないが、自身の気持ちをいったん整理する機会としては良い機会だと思っている。

 

 

理系の人材に限った話ではないと思うが、論理的思考力というものが求められている。

普段意識しているひとは少ないかもしれないが、就活生や新米社員たちにとっては、○○セミナーとか△△研修などという勉強会の場で、レクチャーを受けることが多いのではないか。

もちろん物事を考える上では、つじつまが合っているがどうか、矛盾点はないだろうかと、思考を巡らせることは大切だ。だから、論理だの理屈だのを軽視している訳ではない。

しかしながら、こういった風潮が広まっているせいか、論理的思考力だけがものを言う環境が少なからず存在している。「俺は正しいことを言っているのだから俺の言った通りにやれ」のような傲慢な思いを抱いている人はいないだろうか。あるいは、相手の意見に関して、根拠が不十分だったりと少しでも落ち度があった場合、小さな欠点を論うようなことはしていないだろうか

人はAIと違って感情を持つ生き物なので、いくら論理的に正しいとわかっていても、相手の態度・言い方なんかが気に入らないと、ただただ理屈っぽい嫌なヤツ、と思ってしまいかねない。

また、こんな人ばかりが集まってくると、職場環境はギスギスしたり、殺伐としてきたりと、居心地が極めて悪くなっていく

 

では、理屈っぽい嫌なヤツなってしまう人に足りないものは何なのだろうか?

私はこの答えを人徳だと思っている。思いやり・前向きさ・信頼感・器の大きさ、とかとか、いろいろ要素は思いつくけれど、これらを一緒くたにして人徳と解釈している。

私も一応エンジニアなので、感情論的なことを言っていると叱られたりするのだが、最終的にはロジックが正しいとかそんな表面的なことは二の次で、一番大切なのは、とどのつまり「」なのだと最近は思っている。

 

学生時代には、こんなことを考えもしなかったけれど、プロであるからには理屈を語れるのは当たり前で、理屈だけのつまらない技術者なんて価値は無いと感じる。私はさらにその上、徳のある人間になりたいと思う。

 

では。